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米沢平野管内ぶらり探訪 米沢市

米沢市

慶次清水 ~多くの逸話を残した前田慶次ゆかりの清水~

現在も水が湧き続ける慶次清水
善光寺
善光寺にある前田慶次の供養塔
■慶次清水の由来
 万世町堂森の善光寺の西、八幡原野球場の裏の杉林に人知れずコンコンと水を湧き続けている清水があります。現在は梓川地区の水田の補水として重宝されていますがその歴史は古く約四百有余年にさかのぼります。
 慶次清水は、当改良区の幹線施設であり、深さ0.12m、湧水量は0.03m3/s、所在地は米沢市万世町堂森で、関係受益地域は米沢市竹井、堂森、川井地区の約79haに及んでいます。
 名前の由来については、江戸初期に「かぶきもの」として知られる前田慶次が奄を結んだところから、慶次清水と呼ばれています。
 前田慶次は、加賀百万石を築いた前田利家の甥で、故あって前田家を出て上杉家に仕えた武将です。
■「かぶきもの」慶次の逸話
 慶次は文学、和歌に優れ、源氏物語などの古典に造詣が深く、連歌も一流の歌人に交わって詠んでいます。また、馬術、武道にも優れ多くの戦場で大活躍した豪傑です。このように文武に優れた慶次ですが、変わったことを行う「かぶきもの」でも有名です。叔父利家をだまし寒中に水風呂に入れ、その間に京を出奔した事、愛馬「松風」を贅沢に飾りつけ京の町並を歩いた事、風呂屋に脇差(実は竹刀)を持って湯船に入り、驚いた周りの武士が脇差しを持ち湯に入り刀を駄目にしたといった逸話があります。枠に収まりきれない、スケールの大きな人物でした。
■上杉家を離れず、堂森で悠々自適の生活
 慶次は京で自由に振る舞った後、上杉家に仕えました。同じく学問に秀でた直江兼続との親交、その君主景勝の信義を重んじる人柄に魅かれたものと思われます。
 その後、上杉景勝は会津百二十万石から米沢三十万石に削封され、新参家臣が多く離れる中、慶次は他藩からの誘いを断り、わずかな知行で米沢に留まりました。そして、郊外の堂森に小さな庵を建て「無苦庵」と名付け、悠々自適の生活を送りました。堂森での隠居生活も生来の「かぶく」心は失われず、新築祝いに招かれた時、「満つれば欠けることに気付け」と床柱を斧で傷つけ諭した等、多くの逸話を残しています。
 慶長17年(1612年)堂森で死去。北寺町の一華院(現在廃寺となり不明)に葬られたと伝えられ、堂森の善光寺には供養塔が建てられています。
米沢平野土地改良区
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